土曜クラスの時にも少しお話しましたが
当然と思っている自分の思い込みに疑いをかける
練習と思ってやっていることは本当に練習なのか
太陽礼拝を数セットやる
やったことに満足して
こなす作業を練習と勘違いしていないだろうか
終わった後に軽さがあるのか
心が軽くなっているのか
やらなければいけないという義務感やマイルールで縛っていないか
例え10分だったとしても体と向き合って
自分と向き合ってできたならそれは練習なんだと私は思うのです
かける時間の問題ではなくて意識が向いているのか
一概に「つま先」だとしても人によって理解は微妙に違うはずで
そもそも私が思っている「つま先」は本当に「つま先」なのか
指がつま先?母指球あたりがつま先?
学問的な概念ではなくて自分の常識を疑ってみる
マットの上での練習において本当に重要になってきます
「なぜ人間は食べるのか?」という質問
ある人が「肉体を保つため」と回答
「じゃあ肉体は何のためにあるのか」「肉体を保つというならば肉体に執着する理由は」すかさず2つの質問返し
「ヨガ哲学」講義のごく一部を切り取った場面です
一般的に「哲学」と聞くと難しく堅い感じを受けますが
教科書を開いてペンを持って勉強するばかりではなくて
こうやって言葉遊びみたになことから始まったりもします
学問的なことだけではなくて思考の柔軟性を養うのも哲学であり
哲学はマット上で活かされ、それが肉体にも影響してきます
普段あまり自分の写真をあげませんが伸び悩んでたり苦しいと感じている人がいるなら
モチベーション維持にでもしてください
自分では課題があり過ぎて進歩が遅すぎて戒めにします
上:数日前
下:後屈に限界を感じていた頃(2回か3回目のマスターWSの時)
哲学に興味がある方はZOOM開催しているうちに
是非マスター・スダカーのWSを受けてみてください!
どんなタイトルのクラスであっても小話として哲学が入ってきます